6疾患2症状、エネルギー障害、未診断困窮者
ごあいさつ
20年計画のプロジェクトをはじめるにあたり私は今から30年前、高校1年の秋に全身性労作不耐症(ME/CFS)のような症状を発症しまし た。当時誰にも分かってもらえず、今のようにインターネットが無い時代で、高校生が「だるいから学校を 休みたい」と言っても「気のせいだ」「甘えだ」「運動不足だ」と家族に罵倒され続け、朝、部屋で制服を 着て休んでいると、力ずくで引きずり出されて学校に行かされたという思い出があります。どんなに動けなく ても「甘えなんだ」と、その当時は自分でもそう思うしかありませんでした。
発症後、人の話が理解できなくなり、今まで読めていた国語の長文や英文などの読み方が分からなくなり、 計算が今までのようにできなくなり数学でとったことのない0点に近い点数をとり、今までの勉強がすべて一瞬で無駄になったように感じ、自分がどうやって生きてきたのか、分からなくなってしまいました。 今なら、それはコロナ後遺症でよくみられる脳機能障害だと診断されるのでしょうが、当時はどこの病院へ行っても気持ちの問題でしょうと言われて終わりでした。
その後、奇跡的に20才で5年間の説明し難い程の凄まじい疲労状態から、一般的な慢性疲労にまで回復し、慢性疲労が25年続きました。
そして最近になり、「抗疲労食」のお陰で、ついに慢性疲労も克服する事ができました。現在私は調理師として働きながら「疲労克服ミトコンドリア活性食」という名前で疲労を克服する食事を動画で発信しています。
さらに、2025年10月「回復人」という本に出会い、遂に私の体がなぜ疲労感を感じるのかがはっきりと理解できるまでになりました。発症から30年かかりました。「ミトコンドリア機能不全」というのが原因ではないかと考えています。 これは誰にでも起こりうる症状で、そもそもミトコンドリアにはエネルギーを産生する機能とその働きを抑える機能が両方備わっているという説です。細菌感染時や体のどこかで炎症が起こっている時には、ミトコンドリアは危険を感じ取り、エネルギーの産生が抑えられ、 調光スイッチのように、80%にしたり20%にしたりと変えられるというのです。 今では「ミトコンドリア機能不全」を発表したナヴィオー博士の論文が世界的に評価されて一般の人にまで広まれば多くの人が救われるのではと考える毎日です。

今私は45歳ですが、私と同世代でこのエネルギー障害を患って20年以上という人をSNS上で何人か知って います。大阪で患者交流会を開催していた時、病歴20年以上という方々にも何人も会いました。 大阪大学で日本で最初の慢性疲労症候群の患者が確認されたのが1989年ですから、病歴20、30年の 患者は、日本ではもう珍しくありません。 30年間、どうしてこの病気の患者をとり巻く環境は変わらないのか?何故、診てもらえる医者は増えず、 社会はこうも無理解なのか?とずっと考えてきました。
昨年、高校3年生の重症患者さんからメッセージを頂きました。高校1年の10月にME/CFSを発症されたとの事。発症時期が完全に私と同じで、一気にタイムスリップしたかのような感覚に襲われました。あの頃の私は、大人になる頃にはきっとこの「動けない病気」が病気として認められて、私が味わった ようなどこの病院へ行っても「気のせい」「思春期だから」と相手にされず軽くあしらわれる事がなくなり、「甘え」だと言い切る理解のない家族から離れて、病院で静かに長期療養生活ができるようになり、治療法が見つかるだろう。そして、こんな辛い思いをする人はいなくなるだろうと信じていました。 しかし、実際には、あれから30年経過した今、コロナ後遺症やワクチン後遺症の方々の絶望的なSNSの発信や報道から、「精神的なものでしょう」「気持ちの問題ではないですか」と決めつけられて、どこの病院へ行ってもまともに診てもらう事ができないという現実を知り、社会の無理解は あの頃と何一つ変わっていないのだと思い知るような毎日です。
私は2003年から2009年の6年間、名古屋大学医学部附属病院で秘書として働き、難治性疾患克服研究事業の研究費の管理の仕事に携わり、2013年に、日本初の慢性疲労症候群啓発デーイベントを大阪で開催しました。 あれから12年経ちました。有難い事に今でも毎年5月12日には日本のどこかで啓発デーイベントが行われています。患者さん達の命懸けのイベント開催です。今まで多くの方が、何度もこの病気に関する陳情や請願を提出しました。診療所を全国に増やして欲しいと、ネットで署名を集めて厚労省に提出した線維筋痛症の患者さんもいらっしゃいました。しかし、どんなに患者が頑張っても、その後、何かが変わる事はありませんでした。 陳情されたから署名の束を受け取ったからといって国は必ずそれに対して動かなければならないという義務などありません。後回しにされたらそれっきりです。患者の必死の努力が国会や厚労省まで届くと一瞬で「無」になるのをもうこれ以上は見たくないという思いです。
何年もこの世界を見てきて、国を変えるには、まず国民全体に問題意識を持ってもらう事が必要だと思いました。今までの経緯を見てきて足りないのはその部分です。患者だけではなく健康な方々も巻き込んで大きな塊となって国に立ち向かっていかなければなりません。エネルギー障害の問題はこの日本でまだ社会課題として認知さえもされていないのです。 しっかりと世論を形成した上で政府に対して何かを訴える必要があります。その為には、初心に立ち返り、やはり啓発活動をしていくしか方法がありません。
この20年間変わらなかったものを、あと20年かけて変えていきます。変わらないものであっても、決して諦めずに立ち向かっていく所存です。何卒、皆様のご協力、ご賛同の程宜しくお願い申し上げます。
2025年10月
ベルツの会 代表 盛 智子


